雀のしっぽ。

フィクションとノンフィクションです。

嘘とパン

今までに食べたパンの枚数も、今までについた嘘の回数も覚えてはいないけど、間違いなくパンより嘘の方がずっと多いと思う。

 

嘘を嘘と見抜くこと

嘘を嘘だと知った上で楽しむこと

嘘を嘘だと気付かれないこと

嘘を嘘にしないこと

 

これが出来ない人は生きづらい世界だ。

 

悪意のある嘘は見抜けなければならない。

悪意のない嘘は楽しめなければ意味が無い。

嘘はユーモアで、コーオペレーションで、自衛で、時に真実になる。

故に嘘は悪だと言い切ってしまうのは安直だ。

 

だから

私はあの人の言っていることが8割嘘なことを知っている。

私はあの人の言葉をフィクションとして愉しんでいる。

そしてきっとあの人も私が嘘に気付いていることをとっくに分かっている。

その上であの人は嘘をつく。フィクションを提供し続ける。

理由が何故なのかは分からないけれど、お互いに嘘の中で生きる関係は心地好い。

そこに責任はない。後腐れもない。所詮は嘘なのだから。

 

こういう中身の空っぽな人間関係、惰性的でとても好き。

 

(時折見えるノンフィクションで心臓を切り刻まれたとしても。)