雀のしっぽ。

フィクションとノンフィクションです。

私を育てた人

そういえば母の日なんてイベントがありましたね。

SNSで「母の日だからお母さんにプレゼントをあげた」なんてほんわか投稿を見て、鳥肌立たせて震えてたのは私です。

 

とにかくそれを見て気付いたわけですが、今年は珍しく強制イベント回避したんだ。

 

毎年、誕生日、母の日、父の日とことあるごとに 本人自ら「感謝しろ」「祝え」「何かしろ」と圧をかけてきます。

自ら祝え饗せと喚き散らせるのもなかなかに傲慢だなぁと思うけど

「お前には家族愛が足りない」だとか「優しさが足りない」だとか、挙句はこちらの人格まで否定してくる始末。

 

気に食わなければ「死ね」だなんだと暴言を浴びせ、「寄生虫」呼わばりし、顔を殴って前歯を折り、包丁を突きつけ、そういうことを今までしてきた人間が家族愛を語って自分を饗せとおっしゃる。

 

たまげるよなぁ。

 

まぁ、それがいつものことなんですけどね。

 

「何かしろ」と怒鳴られたら、渋々そこら辺で「クソほど安くて、なんかそれなりにちゃんとしたプレゼントに見えそうなもの」を見繕って買ってきて投げつけるのが定番。

ちなみに食品、消耗品がおすすめです。向こうが気付かないうちに自分で使っちゃえるし。

 

まぁそんなわけで今年は無駄金も使わずに済んで、ラッキーっと思ったなんかの日でした。

クダラネ。

 

母の日って一応世界共通らしくて、母親ってどこの国でも大きい存在なんだなぁなんて考えたりするのだけれど。

 

でもところで、母親ってなんだ?

生んでくれた人?育ててくれた人?

 

私が最初に母親を嫌いになったのは2歳くらいの時だったらしいです。

母親が入院している間に母親の顔を忘れて、退院した母親に全く懐かなかったそうな。

 

それが関係あるのかないのか知らないけど、物心ついた時には母親がなんとなく苦手でした。

なんとなく言いたいことが言えない相手。ワガママを言っちゃいけない相手。

で、妹が生まれるときになって私のぺドが開花して、母親も妹も気持ち悪いと思った。

それが私が6歳の時。逆にその頃は父親大好きだったけど。

 

そのまま母親がなんとなく苦手なまま小学生になって、

小学校高学年になった私が父親に殴られ蹴られするようになった時、それを何も言わずにただ見ているその人を私はもう母親だと思わなくなった。

 

そして今も。

 

暴力を振るってくるわけでもないし、そんなに自己主張がある人でもないから、父親ほどの害はない。

けど、自分の身が1番な人だから父親には一切逆らわないし意見もしない。ただの人形。

 

たしかに私を生んだ。

たしかに家事をしてくれた、育ててくれた。

それは事実だ。

あの人はただの保護者だった人であって、私の母親ではない。

 

なにより

世界共通で大切にされるべき「おかあさん」は

生まれもしなかった娘と、目の前に生きている娘を比べて

「生きていたのがお前じゃなかったら」なんて言葉は きっと口にしない。