雀のしっぽ。

ひっそり生きている

生物的個性保護指針

 

「いじめはいけないこと」なんていうのは

大体子供のうちに、それはもう耳にタコが出来るほど聞かされる。

 

 

「悪口はいけません」

「暴力はいけません」

「自分がされて嫌な事は人にしてはいけません」

「自分より弱い者を攻撃してはいけません」

 

子供に「いけないこと」を山ほど教えて、それを破ると怒る。

そのくせ結局、世界はいじめ天国だ。

 

パワハラ上司と新入社員とか。

ママ友の仲間外れとか。

被差別部落とか。

戦争に負けた国を支配するとか。

 

蟻の世界にもいじめがあるなんて聞くし、いじめる=弱者を排除しようとするのはそもそも生物の本能としては普通のことなのかも。

 

仲間同士の結束や知的発達の弱い種族ほど、ハンデのある個体や遺伝子的に劣った個体は生き残れない。

視力が少し悪い、足が少し遅いだけでも自然界では命取りになる。

そういう劣った遺伝子は後世に継ぐ意味でも不要だし、自分達の生活環境の効率化のためにも自発的に排除しなければならない。

 

あとは共通の敵を作って、集団としての仲間意識を高める、とか。

 

そういう生物が生まれながらに持っている種族存続と繁栄のための感覚、行動。

 

まぁ本能的なものだからといって、人間が道徳的倫理的な生物としてある以上は許されないことなのだけれど。

 

 

 

そういう物も踏まえた上で、私はいじめはいじめられる側にもいじめる側にも問題があると思っている。

 

生物的本能がどうであれ、弱者を攻撃して優越感に浸るなんて惨めだし、それでしか得られない仲間意識なんて馴れ合いもいい所だ。

大体そんなものは仲間意識でもなんでもなく、次の被害者を回避するための個性殺し、意見殺しだ。

自分達が持っていない物を持ってる人間を畏怖した結果の排除だ。

それが劣った部分であろうと、優った部分であろうと、自分と異なる存在が自分を侵さないようにするための愚かな防衛、現実逃避。

 

 

かといって、いじめられる方が正しいとも思わない。

アイデンティティを主張した者が注目され、良くも悪くも評価されるのは相応の報いだし、それによって意見され攻撃されたってそれは自分がの行いが呼んだことなんだ。

出る杭は打たれる、打たれる覚悟さえないなら一生他の杭の中に埋もれて生きてけばいい。

 

大体自分が攻撃をうけたことに対して、自分に全く否がないなんていうのは大間違いだ。

蒔かない種は芽を出さないよ。

それが正当な理由だろうとそうでなかろうと、全て自分に起きたことは自分が選んで来たことの結果で、それを全部「環境の所為」「加害者の所為」とするのは責任転嫁もいい所だ。

 

と、いうのがいじめる側もいじめられる側も経験した人並みの感想。

 

私が話したこともない同級生に「気持ち悪い」

と罵られ、嫌がらせをされていた時

お世辞にも私は明るいとも可愛いとも言えるような人ではなかったし、また他人からのそういう評価に気を遣ってもいなかった。

事実、私が夏休みの間に髪を染めて、少し容姿を気にするようになって、ちょっと不良気取ったような男とつるんで、それだけで私に直接嫌がらせしてくる人はいなくなった。

 

逆に私がホースで頭から水をぶっかけて泣かせたあの子は、誰に何を言われても良くも悪くも自分を崩さない子で、私は彼女という共通の敵を認めることで自分の立場を確立させた。

つまり、彼女というアイデンティティの塊を排除して、自分は無個性であるということを証明して、仲間ごっこに入れてもらったのだ。

 

いじめが良いことだなんて1ミリも思ってはいない。

けれど、私はあの頃に戻っても同じことをきっと繰り返すし、誰しも自分のことは自分以外守れないんだよ。

 

自分で自分を守れなかったことを加害者のせいにするのも

自分を守れなかった人間をいじめて良いとするのも

どちらも愚かだ。

 

そうしてそんなことを何歳になっても繰り返していく私は貴方は人間は

 

とても愚かだ。