雀のしっぽ。

ひっそり生きている

幸福的な持論

この間、綺麗な物の話をした。

「物には終わりがあるから美しい」なんて言うけれど
消えてしまう美しさは儚さが見せる幻影でいつまでだってそこに在るという安心感が本当の美しさなんじゃないか
(自分のfbより)

それに対して頂いたコメントは
「時の流れそのものが美しいのではないか」
「美しさとは形や在り方に囚われない物ではないか」

まぁぶっちゃけこんな物に答えはないですよ。

ただふと考えたこと。


「生」と「死」だったらどちらが美しいかって考えたことある?

生きていることは美しいよ
だからその生きていることを穢してしまわないように死ぬのかな、なんて。

終わらせるということは、それ以上は終わり様がないということ。
終わりがあることによって、2度と終われなくなる。つまりその物は永遠になる。(?)

自分の中でも纏まっていないのでまだこれは考えてる途中。


でも
仮に幸せな中で私が死ねるなら
私は死ぬことによって永遠に幸せでいられるんではないかと思った。

色んな覚悟をしてきた(つもり)なので
あまり死ぬ(終わる)ことに対する恐怖はない気がする。
故にそれが最善にさえなれば、いつでもその手段を選ぶのだと思う。
勿論それが「最善」にさえなればの話で、なかなか自ら時間を終わらせることが最善になることはあんまりないけど。

仮にそんな時が来るとしたら

そこに至るまでの経過と原因は私が招いた物であり
(それが他者から押し付けられた物だったら、終わらせることが最善にはならない)
また、そこまでの時間、経過、原因、理由、その全てを私が心から望んで選んだ物であり
自分で終わらせることに不満を覚えない程にその時の私は幸せであるということ。

それだけは確か。

後悔も何も無い。
感謝と幸福とほんの少し懐かしむだけ。
それを永遠に続けるだけ。



まぁ今まで綺麗な終わり方をさせようとしてやった事は
大概上手く行かなかったので、そんな手段を選ぶことはまずないでしょう。



理由が、曇りなく、本当に、心から、よっぽど、幸せだった時だけ。

それが私の中で綺麗な、美しい終わり方。