雀のしっぽ。

フィクションとノンフィクションです。

ガラクタ置き場

何かを切り捨てることの面倒くささはよく知っている。

 

きっかけは些細な妥協で、そのまま惰性で続いていただけのものも、慣れてしまえば案外それが普通になってしまう。

 

気付かないうちに、心の隙間に入り込まれている。

感情を許してしまっている。

時間がかかれば、かかるだけ、情が移る。

 

そうなってしまったらもうそこでおしまい。

 

徹底して仮面をかぶり続けられるピエロなんていないんだよ。

いつの間にか色褪せる、角からじんわり剥がれ落ちていく。

 

じゃぁその隙間を作ったのは?

事の発端は分かってるよ。

 

人間が人間である以上100%なんてものはないわけで

私は人間に、人間らしく生きないことを望んでいる。

 

人間に永遠はない。

 

そう分かっていても、私は非情でありたいし、非情な人間が美しいと思うし

(もちろん美しさは正しさではない)

めんどくさいを言い訳にした情けは、単純に気持ちの揺らぎだと思う。

 

揺らいで選べないことが悪いことではないと思う。

人間は時に迷うし、時に間違える。そして愛情深い生き物だ。

 

ただ、私はそんな不良品は要らないと思うけれど。

 

 

ライトノベルの主人公じゃないけど、ただの人間に興味はないんだ。

考えないということ

精神科の医者に

「考えなくていいことは考えない事だ」と言われた。

 

しかし私としては考える必要があるからべくして、思考を巡らしているのであって、これが考えなくていいことだとは私には思えない。

 

夜な夜な生きることと死ぬことについて考えている。

 

答えなどないし、考えた所で何かが変わる訳では無い。

けれど、私はそれを考えずには生きられないし死ねない。

 

自分で生きている事を肯定も否定も出来ない。

それに頭を悩ませ続けなければ、私は存在も消滅も出来ない。

 

考えなくていいことってなんだろう?

 

 

当たり前に生きることを選んで、当たり前に普通の生活を送れる人からしたら、自分が死ねない理由なんて考える必要もないし、考えようとすら思わないのだろうけれど

それを考えずには居られない人もいるんだよ。

 

思考の放棄は、則ち死だ

激落ち君で消したいもの

最近よく、誰かが死ぬ夢を見る

 

昔飼っていた犬とか

大好きなおばあちゃんとか

もう何年も会ってないない友達とか

 

その度に「私だったらよかったのに」っていう自分の声で起きる

 

5年間 何もせずにいた。

人生の5分の1近くただ息をしていただけ。

 

もう、まともになれっこないって思ってしまった。

なりたかった私にはなれないし、欲しかった物は手に入らない。

 

それなのに生きている意味なんてどうやって見い出せと言うのか。

 

今私が欺いている誰かも、

今私を好きだと言ってくれる誰かも、

今私に絶対を約束してくれる誰かも、

私が死んだらきっと掌を返したように私を忘れる

 

それでいい

 

この世に生きていた痕跡を残したくない

全ての人に忘れられて、全ての時間を帳消しにして

 

 

私という人間が居た事自体、なくなってしまえばいいのに。

 

懐古

3ミリくらい考えた

 

もし、とか

だって、とか

 

とっくに終わったことを思い出して

あの頃は幸せだったのかもしれないと思った

 

なら、とか

また、とか

 

あるわけないよな

自分で終わらせた物がまた始まるなんてそんな都合のいい話

 

じゃぁ例えば

 

どうしたい、とか

どうしたい、なんて

 

わかるわけないよな

生きてるだけでギリギリだしな

人<物

 

人を失うことより 物を失うことの方が怖い。

 

人は代わりがある。

というか、そこにいるのが誰だって大して私にとって変わりないんだと思う。

 

 

私が今話しているのは他人で

私が今手を繋いでいるのも他人で

私が身体を許したのも他人で

 

他人だから いつか居なくなる

 

そこに居たのが誰だとしても

その理由がどんなものだとしても

居なくなることに変わりないし

 

私にとって辛いのはそこに誰も居なくなることで

それが誰かは大した問題じゃないんだ。

 

 

物は失ったらそれきりだから

私にとってその物はそれだけだから

金額というその価値がそこに見えるから

私にとっては物の方がずっと重い

 

何百人の知人の連絡先を消して連絡を絶ってしまうことより

何百円のキャラクターのスタンプがなくなってしまう事の方がずっと悲しい

 

きっと、狂ってる。

私の言う寂しいはlonelyではなくemptyなのだと思う。

そもそも人間らしい感情が欠けているので、人の言う寂しいという気持ちがあまり分からなかった

 

頭ではわかるし言葉ではわかる

ただし共感は出来ない、そんなところ。

 

みんなの言う寂しいってどんなのだろう

察するに、誰かの声を聞いて優しい言葉をかけて欲しいだとか、スキンシップが欲しいだとか、そういうあれだと思うのだけれど。

 

たまに寂しいと思うような気がする

今も寂しいのかもしれない

 

誰かに優しい言葉をかけて欲しいわけでも、隣で頭を撫でて欲しい訳でもないけれど。

それだって気休めにもならないのだけれど。

 

私の感じる寂しいは、生きている理由がない時の感情だ。

 

生きる理由を他者に求めるなんて最高に間抜けだと思う。

どんな時も命はその人ひとりの物だし、生きるのも死ぬのもその人本人の意思だ。

 

生きていたい理由は、死にたくないと身体が思っているからで

死にたい理由は、生きたくないと心が思ってるからで

自分に生きている意味を見いだせなくなってしまった私は誰かに生きている意味を求めて縋っている。みっともない。

 

誰かが生きろと言ったから、誰かの特別なにかになったから、誰かと破れない約束をしたから、誰かに残していけない蟠りがあるから。

 

そんな些細でくだらない、何か。

 

まぁそんなものがあったって、本当に死にたかったら人は死ぬよ。

現にだから何度も死のうとした。

 

それでも、死ねないってことは生きていたいと思っている。本能でどこかで。

自分で自分を肯定出来ないのに、生きているのはただ辛い。

 

朝起きて、鏡を見て、SNSを開いて、誰かの噂話を聞いて、罵声を飛ばされて、安っぽい感動ドラマを見て、殴られて、奇麗事の御託を並べた文章を書いて

そういう日常の端々で、自分を殺したいと思う。

 

今はただそれだけ。

 

私が今本当にこの包丁で首を掻き切ったって、誰も知りもしないのだ。

そしていつしか日が流れて「ああ、そういえばあいつ死んだらしいよ」なんて噂をされたって

3日もすればそんなこと忘れてしまって

何も変わらずまた朝が来て、夜が来て、また朝が来る

 

それが想像出来てしまう今が

 

 

寂しい

 

 

 

 

 

幸せアレルギー

誕生日に死のうとしていた人間が

今日もまだ呑気に生きている

 

つまらないことで笑って

つまらないことで泣いて

つまらないことで怒って

つまらない空気を吸って生きている

 

そんな仮面の下で、命にしがみついて惨めだねって自分を傍観している自分がいる

 

何度死に損なったっけ。

死ねないということは身体は死にたくないのだろうけれど、とっくに心は生きていたくないのだ。

 

死にたくないのに死のうとするから身体は日々窶れていく。

生きたくないのに生かされるから心は日々蝕まれていく。

どちらかがどちらかに合意出来る日が来ない限り、私は自分を切り刻みながら生きていかなければならない。

 

当たり前に生きていたいと思える人になりたかった。

 

どうなれば生きていたいと思えたのか。

どうなれば幸せだと思えたのか。

誰かに何かをして欲しかったのか。

それすら未だに分からない。

 

だって私は幸せになりたかったんじゃなくて、ただ当たり前の普通のことが出来る、普通の人になりたかっただけだ。

 

他人から与えられる幸せは、自分の無能さが浮き彫りにされるだけで、両手放しに喜べない。

だから、所謂世間一般の言う 幸せ に近くなれば近くなるほど、私は苦しいような気がする。

息が上手く吸えない。明日が上手く見えない。

 

これは病気だ

幸せアレルギーだ

 

次に幸せを貰ったら、アナフィラキシーショックを起こして死ねないだろうか。