雀のしっぽ。

フィクションとノンフィクションです。

呼吸困難

うまく息ができない

 

酸素を吸って二酸化炭素を吐くこと

生まれてから無意識でやってきたことなのに

意識した途端、一体今までどうやって呼吸をしていたのかわからなくなる

 

人は1人じゃ生きていけないんだって、そんなことはしってるけど

物理的経済的な話じゃなくて、精神面の話をすると

自分が誰かを必要とするから、誰かに必要とされるわけで

案外誰かがいなくても生きていけちゃうし、いてもいなくてもどうせ素直になれないから大して変わらないなぁと思っている私は

だから誰の1番にもなれないんだろうなと気付いた。

 

私は誰でもいいんだよ、自分を必要としてくれるなら

つまり私は誰も必要じゃないんだよ

どうせ内面を見せられやしないから

 

どんなに人工呼吸をしてもらったって、気管が塞がっていたら助からないようにつまり、そういうこと。

変わらないもの、変わりゆくもの

変わらないで欲しいと思うものがたくさんある。

 

真っ白のシーツ、ふわふわのぬいぐるみ、綺麗に巻けた髪、指先に乗った雪の結晶、落ちる前の燃えるような紅葉、水滴のついた蜘蛛の巣、そういう何か。

 

美しいものには終わりがあるから美しいのだとか聞いたことがあるけれど、終わらない美しさが1番良いに決まっている。

そこに変化なんて要らない。

 

儚さと?過程や工程も含めての美しさ?

わからんでもないけど、美しいものは今手元に残しておきたい、そういうものでしょ?

 

人間関係も同じくね。

今心地良い関係が永遠に続けばいいと思う。

関係の発展は求めていない。変化も求めてあない。

いつも適当にゆるく第三者でいられる感じが気に入ってるのに、大体周りはそうさせておいちゃくれない。

 

気が付けば、当事者。

 

勝手に周りで盛り上がられて、勝手に期待したくせに勝手に見損なわれて、よく分からないうちに離れていかれる。

 

なんだこれ。

 

変わらなくていいのに。

楽しい今がずっと続けばいいのに。

 

 

 

 

 

頑張らないように頑張っている。

 

また1年が終わる。

今年もこれと言って何もしてないけど、人生はただとりあえず生きているだけでもじわじわ経験値の入っていく緩いゲームみたいなものだから

頑張る元気もない時は頑張らなくてもいいと思うよ。

 

来年はもう少し頑張れますように。

多分ね!

夢の中で考えていたこと

無条件で自分を愛してくれて、許してくれて、認めてくれて、味方でいてくれる人間がほしい。

 

所謂幸せな家族って、きっとそういうもんなんだろうなぁと思う。

 

私もそういう平凡を持って生まれたら、こんな風にひねくれてもいなくて、もっと些細なことを素直に喜べて、そしてもっと頭の悪い幸せな人だったに違いない。

 

でも誰かに許されなくたって、誰かに愛されなくたって、誰かに認められなくたって、誰も味方がいなくたって

自分で自分を許せて、愛せて、認められて、自分を肯定することが出来たら

人間は案外生きていけるものだ。

 

事実今までそうだったと思う。

 

誰に殴られようと、誰に罵倒されようと、誰に私の存在を否定されようと

そりゃ辛かったけど、悲しかったけど、しんどかったけど

自分が自分であることを認められたし、許せたし、だからこんなにも生きづらくはなかった。

 

辛いのも悲しいのも私だけの感情だから誰かに共感されたり同情されたりはしたくない。

だから悲しい夜はインターネットの海に匿名の涙を流して朝を迎える。

そうしたらまたそんなに良くはないけれど、どうしようもなく悪いわけでもない1日が始まる。

 

それだってよかった。

自分には自分という最大の理解者がいて、周りからの評価より、自分自身の評価を大切にできた。

 

ずっとそうだった。

 

なのにいつからだったか、自分を1番嫌っているのは自分になってしまった。

生きていることすら肯定出来なくなってしまった。

なにもかも、わけがわからなくなってしまった。

 

私がなぜ私を許せないのか。

 

周りの人がしている当たり前の生活が出来ないから。

余力があるのに怠けているだけだと自分で思っているから。

 

でも、仕事が出来ないとか、普通の生活が出来ないとか、自分がどうしたって出来ないダメな人間だってことを認めてしまうくらいなら

本当は余力があるのに怠けてるだけだと思っていた方が気持ちは楽だ。

 

だから余力があるのに怠けている自分を許せないのに、怠けているふりをやめない。

クズのふりをやめない。

 

クズのふりをしている限り、私はまだどうしようもない救われない人間じゃない。

 

 

ガラクタ置き場

何かを切り捨てることの面倒くささはよく知っている。

 

きっかけは些細な妥協で、そのまま惰性で続いていただけのものも、慣れてしまえば案外それが普通になってしまう。

 

気付かないうちに、心の隙間に入り込まれている。

感情を許してしまっている。

時間がかかれば、かかるだけ、情が移る。

 

そうなってしまったらもうそこでおしまい。

 

徹底して仮面をかぶり続けられるピエロなんていないんだよ。

いつの間にか色褪せる、角からじんわり剥がれ落ちていく。

 

じゃぁその隙間を作ったのは?

事の発端は分かってるよ。

 

人間が人間である以上100%なんてものはないわけで

私は人間に、人間らしく生きないことを望んでいる。

 

人間に永遠はない。

 

そう分かっていても、私は非情でありたいし、非情な人間が美しいと思うし

(もちろん美しさは正しさではない)

めんどくさいを言い訳にした情けは、単純に気持ちの揺らぎだと思う。

 

揺らいで選べないことが悪いことではないと思う。

人間は時に迷うし、時に間違える。そして愛情深い生き物だ。

 

ただ、私はそんな不良品は要らないと思うけれど。

 

 

ライトノベルの主人公じゃないけど、ただの人間に興味はないんだ。

考えないということ

精神科の医者に

「考えなくていいことは考えない事だ」と言われた。

 

しかし私としては考える必要があるからべくして、思考を巡らしているのであって、これが考えなくていいことだとは私には思えない。

 

夜な夜な生きることと死ぬことについて考えている。

 

答えなどないし、考えた所で何かが変わる訳では無い。

けれど、私はそれを考えずには生きられないし死ねない。

 

自分で生きている事を肯定も否定も出来ない。

それに頭を悩ませ続けなければ、私は存在も消滅も出来ない。

 

考えなくていいことってなんだろう?

 

 

当たり前に生きることを選んで、当たり前に普通の生活を送れる人からしたら、自分が死ねない理由なんて考える必要もないし、考えようとすら思わないのだろうけれど

それを考えずには居られない人もいるんだよ。

 

思考の放棄は、則ち死だ

激落ち君で消したいもの

最近よく、誰かが死ぬ夢を見る

 

昔飼っていた犬とか

大好きなおばあちゃんとか

もう何年も会ってないない友達とか

 

その度に「私だったらよかったのに」っていう自分の声で起きる

 

5年間 何もせずにいた。

人生の5分の1近くただ息をしていただけ。

 

もう、まともになれっこないって思ってしまった。

なりたかった私にはなれないし、欲しかった物は手に入らない。

 

それなのに生きている意味なんてどうやって見い出せと言うのか。

 

今私が欺いている誰かも、

今私を好きだと言ってくれる誰かも、

今私に絶対を約束してくれる誰かも、

私が死んだらきっと掌を返したように私を忘れる

 

それでいい

 

この世に生きていた痕跡を残したくない

全ての人に忘れられて、全ての時間を帳消しにして

 

 

私という人間が居た事自体、なくなってしまえばいいのに。