雀のしっぽ。

フィクションとノンフィクションです。

ギリギリ人間でいたい

昔本かなにかで読んだ。

"ある程度知能のある動物は道具を使うことが出来るが、道具を作り出すことは出来ない。道具を作ることが出来るのは人間だけである。"

 

たしかに、スプーンを使える猿はいても、スプーンを作れる猿はいない。なるほど。

 

スプーンを作るために木を彫る、木を彫るために刃物を作る。

それを当たり前に出来た原始人ってすごくない?

 

目標のための目的を順序だてて行えるって当たり前のようですごいことだ。

 

つまり

シングルタスクで、目標と目的をごっちゃにして、自分の取るべき行動が分からなくなりがちな私は原始人以下と…。

私を育てた人

そういえば母の日なんてイベントがありましたね。

SNSで「母の日だからお母さんにプレゼントをあげた」なんてほんわか投稿を見て、鳥肌立たせて震えてたのは私です。

 

とにかくそれを見て気付いたわけですが、今年は珍しく強制イベント回避したんだ。

 

毎年、誕生日、母の日、父の日とことあるごとに 本人自ら「感謝しろ」「祝え」「何かしろ」と圧をかけてきます。

自ら祝え饗せと喚き散らせるのもなかなかに傲慢だなぁと思うけど

「お前には家族愛が足りない」だとか「優しさが足りない」だとか、挙句はこちらの人格まで否定してくる始末。

 

気に食わなければ「死ね」だなんだと暴言を浴びせ、「寄生虫」呼わばりし、顔を殴って前歯を折り、包丁を突きつけ、そういうことを今までしてきた人間が家族愛を語って自分を饗せとおっしゃる。

 

たまげるよなぁ。

 

まぁ、それがいつものことなんですけどね。

 

「何かしろ」と怒鳴られたら、渋々そこら辺で「クソほど安くて、なんかそれなりにちゃんとしたプレゼントに見えそうなもの」を見繕って買ってきて投げつけるのが定番。

ちなみに食品、消耗品がおすすめです。向こうが気付かないうちに自分で使っちゃえるし。

 

まぁそんなわけで今年は無駄金も使わずに済んで、ラッキーっと思ったなんかの日でした。

クダラネ。

 

母の日って一応世界共通らしくて、母親ってどこの国でも大きい存在なんだなぁなんて考えたりするのだけれど。

 

でもところで、母親ってなんだ?

生んでくれた人?育ててくれた人?

 

私が最初に母親を嫌いになったのは2歳くらいの時だったらしいです。

母親が入院している間に母親の顔を忘れて、退院した母親に全く懐かなかったそうな。

 

それが関係あるのかないのか知らないけど、物心ついた時には母親がなんとなく苦手でした。

なんとなく言いたいことが言えない相手。ワガママを言っちゃいけない相手。

で、妹が生まれるときになって私のぺドが開花して、母親も妹も気持ち悪いと思った。

それが私が6歳の時。逆にその頃は父親大好きだったけど。

 

そのまま母親がなんとなく苦手なまま小学生になって、

小学校高学年になった私が父親に殴られ蹴られするようになった時、それを何も言わずにただ見ているその人を私はもう母親だと思わなくなった。

 

そして今も。

 

暴力を振るってくるわけでもないし、そんなに自己主張がある人でもないから、父親ほどの害はない。

けど、自分の身が1番な人だから父親には一切逆らわないし意見もしない。ただの人形。

 

たしかに私を生んだ。

たしかに家事をしてくれた、育ててくれた。

それは事実だ。

あの人はただの保護者だった人であって、私の母親ではない。

 

なにより

世界共通で大切にされるべき「おかあさん」は

生まれもしなかった娘と、目の前に生きている娘を比べて

「生きていたのがお前じゃなかったら」なんて言葉は きっと口にしない。

 

 

 

自称クズ 多称クズ

同級生がみんな社会人になった。

 

かたや私は今日も今日とて引きこもりをしている。

 

今何してるの?と聞かれるととても困る。

かろうじて生きているよ、としか言えない。

 

私の人生には、「死ぬ」という選択肢があちこちにあった。

他の人が自分の意思で学校を選んで仕事を選んで恋人を選んだように

私はいくつもの分岐点でなんだかんだ生きることを選んでここまで生きてきた。

そして、今日も生きる方を選んでなんとか生きている。

 

生きることが当たり前になりたかった。

 

ヘラヘラ笑ってクズを演じて

まぁ事実クズなんだけど

自分で望んでこうなったような振りをして

なんにも辛いことなんかないようなフリをして生きている。

 

じゃなきゃ、悲しすぎる。

 

クズだからニートやってますって笑っていたい。

体も心も追いつかなくて、ちょっと外出したら寝込んで、バイトすら続かなくて

なんて現実、考えるだけで悲しくなってくる。

 

なんともないフリをして笑っていたい。

それで何にも知らない人に後ろ指差されて「あいつはクズだ」って言われても

それで身近な人に「なんだやっぱり怠けてるだけか」って思われても

 

本当に自分が何も出来ないどうしょうもない人間だって認めてしまったら

もうきっと次は生きている方を選べない。

 

当たり前に生きて 当たり前に仕事をして

そんなつまらない大人にはなりたくないと思っていたけど

なれない のと ならない のは大違いだ。

 

ならないことを選ぶ選択肢くらい、欲しかった。

 

 

夢は覚める 朝は来る そしてまた夜がくる

今日見ているこの夢は 明日には覚めてしまう

 

今日見ているあの月は 明日には欠けてしまう

 

今触れているこの指は 今聞いているこの声は 今目の前にいるこの人は

 

明日に確かなものなんて何ひとつない

いつ崩れるか分からない橋を渡るような人生を

それでも前を向いて生きていかなくちゃなんて。

 

堕ちたその先に救いなんかない。

結局のところ、自分で見つけて自分で這い上がって自分で自分を救うしかない。

そんなことは分かってる。

分かってるはずなんだよ。

 

あと何回私は夢を見て

あと何回夢から醒めて

あと何回現実に絶望して

あと何回自分を恨めば

自分の命を肯定出来るのか。

 

いっそ夢を見たまま、それが夢だとも気付かないうちに、死んでしまいたい。

踏み外す

 

ずっと普通の土俵で生きてきた。

そして「普通じゃない」ことを嘆いている。

 

普通じゃないくせに普通の人と比べるからしんどいわけで。

 

周りの普通を全部ばっさりさようならして

Unrealとこんにちはしたら

少しはこの息苦しさもなくなるんじゃないかな。

 

普通の土俵から降りること

私という人間を捨てること

もうおしまいなのは分かってるけど

どうせ死ぬならそれもありかなぁ

 

まぁでもやっぱそこまでして生きなくていいか

って結論にいつも至る。

知った口を聞くな.com

 

「仲悪いのは知ってるけどなんだかんだここまで育ててくれた血の繋がった親なんだから、そんな風に親のことを悪く言うのは良くないよ。もう子供じゃないんだからそれくらい分かるでしょ。」

 

「そういうことは、血の繋がった親に包丁突きつけられて死ねって言われる経験をしてから言ってくれ。」

 

幸せにぬくぬくと生きてきた人に、私の人生を語られたくない。

私に親なんかいない。

 

春だねぇ

春は嫌いです。

 

桜が綺麗だし、暖かいし、なんだかみんな楽しそうだし、節目の季節だから。

 

今日もお布団の上でInstagramを眺めては

同級生の大学の卒業式だとか、卒業旅行だとか、就職先の研修だとか

なんかそんな最高にクソつまらなくて幸せそうな投稿を鼻くそほじりながら見てます。

 

正直、羨ましい。

当たり前に生きて、当たり前に幸せだと言えて、当たり前に明日が来る

 

その反面、自分はそういうクソつまらない大人にはなりたくないなって思って生きてきたし、もし仮にどこからか人生をやり直せるって言われても私はきっとやり直さない。

 

クソみたいな人生だなって思ってる。

なんだかんだ、自分なりに他の人とは違う人生で何かを得てきたとも思えない。

誰かと比べるものじゃないって理解してたって、やっぱり比べて「私は不幸だ」って思う。

 

でも私は私の選択に後悔したことはないし、やり直したいとも思わない。

クソみたいな人生で良かったなんて微塵も思わないけど、仮にどこかからやり直して普通の人生を目指したってきっと私は私にしかなれないし、幸福かどうかだって今以上にもそれ以下にもなれない。

 

辞めてしまった好きだったものも、出来なくなってしまった普通のことも、落としてしまった当たり前の感覚も

全て失うべくして失ったし、そういう空っぽで残りカスみたいな人間が私自身だ。

 

死にたい私を肯定したい。

それと同時に生きたい自分も肯定したい。

 

みんなが当たり前に朝起きて出勤して上司に頭を下げて仕事が終わったらお酒を飲みながら仕事の愚痴を言って帰ったら死んだように眠ってそういうことをしている間に

私はとりあえず今日生きている私を褒めて、明日も生きているために食事をして、明後日も生きている自分のために生きている理由を見つけたい。

 

そうして当たり前に生きられるようになりたい。

 

ピアノもまた少しだけ弾いてみたい。

絵も少しだけ描いてみたい。

カメラを持って散歩がしてみたい。

好きな人達に気楽に会いに行きたい。

 

でもそんなことよりまず、なんか出来そうなバイト探さないとケータイが止まる…。