雀のしっぽ。

フィクションとノンフィクションです。

死して尚も死ぬ

いつだって私の死にたい気持ちは私だけのものだ。

何ひとつ分かっちゃいないくせに分かったようなフリをする、そして分からずとも分かりたいと思っているなどと軽々しく言いながらその感情を踏み躙る人に口を出されたくない。触れられたくない。

いじめがあった時に、実態を知っていながら何もしなかった黙認していた、のは加害者と大差ないと言うのだから、これもある意味そういうことだと思う。

加害者だとまでは言わないけれど、当事者から取ったら味方なんて1人もいないんだ。

もしそれでも私に対する好意が、愛情がというなら、1度でも私の中で壊れているものを埋めてくれたことがあったんだろうかと尋ねたい。

私は普通じゃないから、他人と同じ土俵で同じクオリティで行動することですら、私にとっての精一杯だった。ギリギリだった。だからそれすら続かなかった。

でもそれで見切りを付けるならその時点で付ければよかった話で、それを口で分かったと言いながら首を絞め続けていた。

分かったって、何を分かったの?

じゃぁ何をしてくれたの?何を汲んでくれたの?

ああするよこうするよって口先だけだったじゃないか。

 

言われた通り。

普通に生きることすら出来なかったのは私なんだよ。そんなことはわかってる。

でもそれは生ぬるく普通に生きていられる人間が言っていい言葉じゃないよ。

誰が望んで、最初から自殺してしまうような人生を選ぶのか。

誰が望んで、自分の存在を自分で否定するのか。

そのしんどさを欠片も知らない幸せな人に、どうして最後の私の自尊心まで蔑まれなきゃいけないのか。

ギリギリの所で生きている、死にたい自分を肯定することでなんとか自分を棄てずにいられる。それも否定されなきゃいけないなら、それこそ私は息が出来ない。

 

そんなことしなくたって当たり前に生きていられるまともな人間になりたかった。

 

23年間毎日悪意に浸されて生きて、実の親に刃物を突きつけられて、寄生虫と呼ばれて、生きていることを否定され続けて、それでも真っ当な心を持ったまま普通に生きていける人がどこかにいるなら教えて欲しい。

一体私はどうしたら普通でいられたの?

何も出来なくなってしまった自分を自分でも認められなくて、普通に生きている周りの人たちを見上げて。

もうこの先希望もないのに、まだ飼われて生きながらえていて。あの時死んでいればと何度も思って。何も無いのにひとりで笑ったり泣いたり忙しくて。ついに壊れてきているなぁと感じて。病院に行ったって効きもしない薬が出されるだけで。やっぱりはやく死んでしまいたくて。

 

じゃぁ私はどこでどうしていたら誰かに救われたの?

そうじゃないじゃない。

結局自分は自分でしか救えなくて。だからこれが唯一の私自身を私が護る術な訳で。救う術な訳で。

 

分かっていたって思うのよ。

それだって他の誰かには手を差し伸べてくれる誰かがいつだっているじゃないか。

絶対的な味方がこの世に存在するじゃないか、って。

 

私にはいないから、いるフリをして生きている。自分はひとりじゃないって言い聞かせて生きている。

わかる?私が1番信用していて何でも話せるあの人たちはこの世に存在しないんだよ。

存在しないポジションに、存在する誰かを連れてきてまで生きたかった。そこまでして誰かを信用したかった。もう誰だったか忘れたけど。

信頼関係なんて一瞬で消えて二度と戻らないものだけどね。虚しいね。

 

そこまでして惨めに生きながらえている屑の気持ち、分かるわけないよな。

分からなくていいから、こんな底辺での腐っている死体のことはさっさと記憶から消して、二度と思い出さないでくれ。

 

 

 

 

嘘とパン

今までに食べたパンの枚数も、今までについた嘘の回数も覚えてはいないけど、間違いなくパンより嘘の方がずっと多いと思う。

 

嘘を嘘と見抜くこと

嘘を嘘だと知った上で楽しむこと

嘘を嘘だと気付かれないこと

嘘を嘘にしないこと

 

これが出来ない人は生きづらい世界だ。

 

悪意のある嘘は見抜けなければならない。

悪意のない嘘は楽しめなければ意味が無い。

嘘はユーモアで、コーオペレーションで、自衛で、時に真実になる。

故に嘘は悪だと言い切ってしまうのは安直だ。

 

だから

私はあの人の言っていることが8割嘘なことを知っている。

私はあの人の言葉をフィクションとして愉しんでいる。

そしてきっとあの人も私が嘘に気付いていることをとっくに分かっている。

その上であの人は嘘をつく。フィクションを提供し続ける。

理由が何故なのかは分からないけれど、お互いに嘘の中で生きる関係は心地好い。

そこに責任はない。後腐れもない。所詮は嘘なのだから。

 

こういう中身の空っぽな人間関係、惰性的でとても好き。

 

(時折見えるノンフィクションで心臓を切り刻まれたとしても。)

 

 

無題

 

モノクロの空の下 フェンスを伝う雨と 足元の水溜り

6月は僕の嫌いな物ばかりでばかりでばかりで

 

置き忘れてきた傘を取りに戻るのももうなんだか億劫で

イヤホンを耳に詰め込んで 次の世界に飛び込んだ

 

ガラスにうつる 昨日の君をまだ忘れたくなくて

大丈夫ひとりじゃないよ

掴んだことのないその指が まだここにある気がした

だって、こういうの好きでしょう?

 

紫の花弁 カーテン越しの冷たい空気 顎先に逃げる涙

今日はいつもより嫌なことばかりでばかりでばかりで

 

出来損ないの自分を励ますのももうなんだか億劫で

音量をMAXに上げきって 次の一歩を踏み出した

 

劈く悲鳴 軋む音 昨日の夜に似ている

最後に見たのは どんな色だったろう

 

ガラスにうつる いつかの君をずっと見ていたくて

大丈夫それだけでいいよ

偽物ってとっくに気付いてる イマジナリーフレンドにキスをした

だってこれは夢なんでしょう?

 

冷たい石に伝う雫を払って

いいよ まだここにいる

 

 

ごめんなさいで済んだら警察はいらないんだよ

って言うとどこのヤンキーだよって感じだが。

 

私は「もうこいつとはもう縁切るわ!やってらんね!!」って吹っ切れてしまえば言いたい放題言うけれど、後々の付き合いも視野にいれなきゃいけない相手は揉めることすら面倒くさいので「まぁ(何がかよくわかんないけど)私が悪かったよごめんね」で済ませてしまえばいいと思っている節がある。

 

もちろん話して解決することなら多少時間をかけたって話し合うべきだし、伝えずに何も変わらないと言うよりは1度は伝えようとする努力はするべきだと思うけど。

 

でも試してみて「ああこの人には伝わらないな」と思ったら、さっさと匙をぶん投げるべきだと思う。

 

何十年も違う環境で生きてきた相手に自分を理解してほしいというのも馬鹿げた話だと思うし、逆に私だって相手の気持ちなんて汲み取れないし、仮に相手の言っている要望や理屈を理解出来ても、それを納得することは出来ないし、故に私が気持ちや価値観を変えることは不可能だ。

 

 

似た環境で生きてきた人間同士はなんとなく相手を推し量る「才能」が拓けると思うし

逆を返せば、そういう「私を理解する才能のない人」と時間をかけて議論しあったところで、私の気持ちや考えや価値観を本当の意味で理解するのは容易なことではない。

 

普通に考えて、20年以上何をして何を見て何を聞いて何を考えて何を感じて、そうして出来た今の感情を汲み取るなんて全くの他人に出来るわけがないし求めるだけ無駄だし

他人の汲み取れない感情のために、「納得は出来ていないけれど相手の要望を飲むために自分の価値観や考え方を捻じ曲げる」なんて出来ない話だ。

 

 

故に私は適当に謝る。

 

本当は納得のいっていないことを場を収めるために謝るというのは、つまり歩み寄りの放棄だ。

 

そういう時に私の言う「ごめんね」は

「私は謝ったからね。これ以上責めないでね。はいもうこの話終わり!」という試合終了の合図であり、「あなたが私に対して不満を抱いているのは分かったけれど、私はこういう人間であなたのために変わるなんて出来ないからごめんね」の意味だ。

 

私だけじゃなく大概みんな「ごめんなさい」ってそういう使い方してると思うけれど。

LMT(らぶまねーとれーど)

愛は金では買えないが、愛は金で買える物に置換できる

時間や 距離や 花や そういう金で買えるものを以て 愛は量られる

 

そうじゃなかったら愛なんて目に見えない物をどうやって確認するんだ?

証拠もなしに自分が愛されているなんて自信を持てるのは、愛されなかったことがない人間だけだと思う。

 

 

まあだからあの人達はあの人達なりに私を愛したんだろうし

事実この20年間莫大な金をかけてきた

衣食住に困ったことはなかったし

小学校低学年から個別指導の塾に通わせ、私立中学に入れ(しかも1年で辞めて)、また高校受験のために塾に通わせ、私立高校に入れ、大学に入れるためにまた塾に通わせ(しかも大学進学権をポイ捨てして)専門学校に入れた(そしてそれも辞めた)

私立なんて入学金だけで100万飛んでいくわけで、それを何回も繰り返しているから普通の何倍も金はかかってる。

 

だから私は親に愛されて育ったはずで、私は親に感謝しなければならない。

こんなにも愛されて育ったのに真っ当に生きられない自分を恥じなければならない。

 

 

んなわけあるか??しね??

生きたいやつは死ね

今年で23なんだけど、案外周りの友達が結婚したりしてて早いなぁなんて。

 

まぁ実際結婚願望はそんなにない。

だって家族とかよくわかんないし。子供好きじゃないから産みたいとも思わないし。

 

恋人も家族も、同棲してれば同じことじゃない?

あとは書類上形式上の話で。

 

 

昔は結婚して家出て親と縁切っちゃえばそれで終わりって思ってたからさっさと結婚したかったし、自分も「普通の家族」が欲しかったし、安心して眠って安心して目を覚まして生きているだけで幸せだと思えるような場所がほしいと思ってた。

 

実際はそんな単純に考えてた自分はまだまだお子様だったわけで

自分と相手はそれでよくても、結婚するってなったら相手の家族とか親戚とか周りとかの目もあるし

そうなれば私が私の親と縁を切ってどうこうってそんなに簡単なことでもないし

第一、そんな地雷抱えてるやつを相手方の親族が快く受け入れるわけがないのも当たり前だし

 

かと言ってうちの親と関係を保ったまま誰かと結婚して相手の親族や周りの人まで巻き込んで〜とかどう考えたって無理だし

まぁ仮にそうなったら、無駄に外面の良いうちの親があることないこと吹聴して根回しして私だけが悪者になって

味方が誰もいなくなるところまで読めるし

 

(いつもそうだしね)

 

冷静に予想出来るようになってみると

まぁそんなにめんどくさいこと、特別したくもないなぁ、みたいな。

 

誰かと生きていくなんて絶対無理だってわかって諦めている人に

「人という漢字は二本が支えあって出来ている」なんてくだらないこと説いたクソは死んでいいよ。

 

世の中はギブアンドテイクで、与えるものすら持っていない人は受け取ることも出来ないのよ。負の連鎖は断ち切れない。

 

そんなことも分からないでほざいてるのか、それともあなたがどうにかしてくれるわけ?

 

当たり前に生きている人に、当たり前に死にたい私の考えを分かったようなフリされるのとても不快。

 

ギリギリ人間でいたい

昔本かなにかで読んだ。

"ある程度知能のある動物は道具を使うことが出来るが、道具を作り出すことは出来ない。道具を作ることが出来るのは人間だけである。"

 

たしかに、スプーンを使える猿はいても、スプーンを作れる猿はいない。なるほど。

 

スプーンを作るために木を彫る、木を彫るために刃物を作る。

それを当たり前に出来た原始人ってすごくない?

 

目標のための目的を順序だてて行えるって当たり前のようですごいことだ。

 

つまり

シングルタスクで、目標と目的をごっちゃにして、自分の取るべき行動が分からなくなりがちな私は原始人以下と…。